先日、私がお世話になっている東京の某団体職員の方達とまるまる1日をご一緒させて頂いた。
もちろん仕事の打合せが中心なのだが、その後の忘年会も大いに盛り上がり、来年度も一緒に知恵をだしていくことで締めくくらせて頂いたのだが、その席で「カルゴンさんもやっぱり東京にいなきゃだめだよ」と言う。
やはり日本の中心は東京なのだ。情報も金もすべて東京から発信されているからだ。
地方がいくらあがいても、東京と同じレベルの生活を送るというのはそもそも不可能な話だったのかもしれない。
そんな思いでいたら、そのことを鋭く書いているブログを見つけた。
http://news.livedoor.com/article/detail/4523657/
我々のような地方で生まれ育った者は、その地方を良くするために当然ながら頑張ろうとする。そして、そこで選ばれた議員は地元に事業予算を引っ張ってくるのは極当たり前のことだと思うのだが・・・・。
さて、来年はますます厳しくなることが予測される北海道経済である。やはり私も東京へ進出しなければならないのだろうか。
これから始まる建設業界のサヴァイバルをどんな手で乗り切ることが出来るのか、この正月休みにじっくりと考えようと思う。
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しかし、一方で都市で破れた敗者を受け入れる余地も社会は用意しておかなければなりません。
また、リフレッシュするための余暇を過ごす空間も必要です。
もちろん食料を生産する場も必要です。
外貨を稼ぐことは日本に至上命題ですから都会は「生き馬の目を抜く」厳しさが必要でしょう。
その対局として、安らぎの場としての地方がある。
均衡ある国土形成は、こうした多角的視野が欠かせません。だからこそ、セーフティネットとしての地方での公共投資が必要だと思うのですが。
どうも、最近はそういう考えは受け入れられないようです。
今の円高は輸入産業ばかりが儲かり、輸出産業全体が疲弊してきているわけです。そして為替差益で利益を容易に生み出せる輸入産業が、国内の製造業を中心とした産業に壊滅的な打撃を与えているのです。
つまり、今の円高を是正しない限り景気は良くならないわけで、いくら子供手当てを支給したところで回復などするわけが無いのです。
子供手当てをもらって喜んでいる間にお父さんの給料が減るわけですよ。だから、こんな政策は全く意味が無いと言うのです。
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