一昨年に私の義父が亡くなったときに、アカデミー賞を受賞した映画「おくりびと」で注目を浴びている納棺士の方にお世話になり、その時の感謝の気持ちと感動は今も昨日のことのように思い出します。
そんな風に思ったのが決して自分だけではなく、映画の企画と主役を務めた俳優の本木雅弘氏も同じだったのだなぁと私には思えて妙に嬉しく気持ちになっているところです。
若い納棺士だったのですが、遺族が全員で見つめる中で流れるように一つ一つの作業を丁寧に行なっていくのです。単なる仕事としての割り切りではなく、遺族の気持ちを十二分に理解しているといった感じで、決して不真面目に笑ったり、いい加減な扱いをしたり、といったことは最後までありませんでした。
決して脚光をあびる仕事では無いはずなのにこのように映画となり、しかもアカデミー賞を取るなんて嬉しいじゃありませんか。本当に良かったと思いますし間違いなく良い映画なのだと思います。
残念ながら私は上映中には観に行けなかったのですが、もし再上映が行なわれるのでしたら必ず見にいこうと思っています。
最後に、この映画を観て納棺士になろうと思った人も少なからずいると思いますが、この納棺士という仕事はよほどの覚悟が無いと出来ない仕事だと思いますよ。誰にでもできる仕事では無いでしょう。
Comment
インタビューで納棺師の方が言ってましたが、『病気で亡くなられる場合だけではなく、事故死の方や腐敗してしまった方なども請け負うので決してキレイな仕事とは言えません。どんな方でも生前のようにして送り出す仕事です』とのべてました。
私も映画は見てませんが、一度見てみたいです。
確かに誰にでも出来ない崇高な仕事ですね。
一昔前は湯灌から納棺まで家族や親族でやってました(私の親族だけ?)が、最近は知識のある人が身内にいないことが多く納棺師にやって貰う場合が多いですね。
私の義父が亡くなった時もそうでした。
ただ昔は逆湯を使って家族で丁寧に湯灌をし、体毛を剃り、白装束を着せていたのが、今は納棺師が手際よく行い、家族はアルコール綿で手足を拭く程度なので、寂しさを感じました。
そうですよ。遺体はいつも五体満足とは限りませんからね。
これぞプロフェッショナルだ!と思いましたよ。
湯灌だなんて難しいことば、私は知りませんでした。親族の葬式と言っても過去に5回程しかありませんでしたので、やや疎いのですよ。
確かに昔はみんな自分達でやったのでしょう。そういう意味じゃ葬式のアウトソーシングということになりますよね。
自然じゃない、と言えば確かに自然では無いですね。
でもこれを儀式と考えるならば、誰にでも出来ることではありませんから、プロに頼むと言う選択は間違っているとは言えないでしょうね。
私の場合親戚が多く、両親が割と詳しいもんだから、親戚で何かあると最初に駆けつけて手伝っていたのを子供の頃から見てきたもので、義父の時に「え、これだけ?」と寂しく感じたのです。
だって義父がもう駄目だろうなという状態になって、半年の間ほぼ毎週末札幌から訓子府まで行って、風呂に入れたりしてたんですよ。
湯灌というのは故人に対して身内の者が別れを惜しみながら感謝と愛情を込めて支度を整えてあげる大切な時間だったということです。
今は葬儀屋さんが時間短縮のために「すべてこちらでやりますから」っていう場合もあるらしいので、少し寂しい感じがしちゃうんですね。
事故とか遺体の損傷がひどい場合は昔からプロに任せていたようですし、今は兄弟も多くないので当然納棺師のお世話になると思います。
私の親の時もそうして貰おうと思っていますしね。
私は見かけに寄らず、会社の後輩に神棚の祭り方を教えたり、五十回忌法要のお返しは紅白ののしを付けるとか、そんなことを知ってたりするんです。
息子の成人式にはうちの宗派のちゃんとした数珠を買ってやったりとか結構こだわってます。(笑)
あ、別に否定しているわけじゃないですからね(^^;)
確かに他人に委ねるのは寂しい気がしますよね。
結構、しきたりや神事を大事にされているんですね。素晴らしいことだと思います。私もどちらかと言えばそうですよ。
宗教的というよりは風習といった感じではありますが(笑)
私も否定するような文になっちゃったのかと思いまして。
いやー、文章ってやっぱ難しいですね。
コメントする