すい臓癌と半年近く病床で戦ってきた義父さんが11月26日に亡くなりました。享年63歳でした。苦しいはずの抗癌剤治療にも何も言わず耐えてきたお義父さん。この日の朝、病院から連絡が入り、様態が悪くなってきたから泊り込みを覚悟してくださいといわれた矢先のことでした。
午前10時頃から様態が急変し、お義母さんが病院に到着してからわずか30分後の12時15分に静かに息を引き取ったのです。娘である私の妻は残念ながら臨終に間に合いませんでした。病院に着いたのはその30分後でした。
「私が行くまで待っていてくれなかった・・」
そう言って悲しむ妻をうまく慰めることも出来ず、夫としてただただ残念に思うことしか出来ませんでした。
本当に早すぎる死です。会社を定年退職し、これからの人生を家族や孫に囲まれて楽しく生きていくはずだったのに・・と思うと、とにかく残念で、悔いばかりが頭を過ぎります。
もっと家族で遊びに行けば良かった・・
もっと親孝行すれば良かった・・
どうして朝から会社を休んで真っ直ぐ病院に行かなかったのだろう・・・
自分はこの日、大事な商談があり、それが終わり次第病院に駆けつける予定だったのです。
客先はお義父さんが入院している病院まで車で5分のところにある私を懇意にして下さっている建設会社さん。
早く病院に行きたい・・でもこの商談は特別の商談だからキャンセルできないし、他の者に代われるものでもない。自分がきちんと対応をしなければいけない・・。
義父さんの死を知らされてからの商談はとにかく辛かった。
その辛さを顔に出すのはもちろん営業失格です。逆にむしろ普段よりも沈着冷静に話を進めることが出来たように思う。
商談が終わって病院に着いたのは午後3時を廻っていました。
お義母さんも妻も遅れてきた私を責めることは無かったのですが、その事がまた自分にとっては自責の念に囚われてとても辛いのでした。
病院からの希望で病理解剖をされ、終わるまでの間、じっと待つお義母さんはとても悲しかっただろうに、健気に明るく振舞う姿には胸を打たれました。
それにしても今年の6月までは元気で、子供の運動会にも来てくれたのに、一体どうしてこんなことになってしまったのか・・
健康が何よりの取り得を自慢していたお義父さん。気がついたときにはすでに手遅れの末期癌だったとは・・・
葬儀も終えた今となっても、ただただ無念の一言です。
これからは仏様となって、子や孫を見守っていてくださいね。お義父さん。
南無阿弥陀仏
Comment
人の死に出会う度、一日一日の時間の大切さを痛感しています。
亡くなられた方への供養は、その人の分まで日々幸せに暮らし、それを墓前に報告する事かと思います。
おじいちゃん(義父さん)はお孫さんの成長をきっと遠き空より見守ってくれる事と思います。
義父様のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
自分が亡くなる時に、こう思ってくれる後生がいてくれたら、、と常に思います。
ただ自分の息子が大事な仕事をほって来たら、涙は出るでしょうが、仕事に戻れと叱るでしょう。
義父さんを羨ましく思いました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
奥様を幸せにしてあげられれば、何よりも
義父に対する供養になるのではないでしょうか。
私も親父と義父の両方がすでに他界していますが
何もしてあげられなかったので、その分、義母を始め
カミさんも含め、出来る事はやって上げようと思っています。
皆様からのお言葉通り、残された者が幸せになれるように頑張って行きたいと思います。
暖かいコメントをいただきありがとうございました。
コメントする