小樽にて(その1)で紹介した地獄坂を上っていき、細い路地を曲がり道なりに進んでいくとあるのが、この小林多喜二文学碑だ。
小林多喜二(wiki)は、幼少のころから小樽に移り住み、この文学碑のすぐそばにある小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)に進学し、その後も北海道拓殖銀行(wiki)の小樽支店に勤めたのだそうだ。
その後、多喜二の作品や活動を快く思わない権力者達によって迫害を受け、特高警察(wiki)による激しい拷問によってわずか30歳の生涯を終えてしまう。
その拷問の内容については、こちらのページに解説があるので興味のある方は見て欲しい。
なぜ、そこまでして権力者達(国、軍隊、特高警察、代議士、丸の内の企業)と対立しなければならなかったのか。
その答えは多喜二の代表作でもある「蟹工船」を読むと良いだろう。(最近ブームになりつつあるようだ)