風景いろいろ
昨日は石狩市のとあるお客様を訪問した後、そのままオロロンライン(国道231号線)を北上して留萌へ向かうことにしました。少し余計に時間はかかりますが、天気が良かったのとアポまでに多少の余裕が有ったからです。
※オロロンラインについてはこの方のブログが参考になります
日本海沿いの道は景色もとても奇麗で、また通行量も少なくて実に快適です。
唯一の心配は、知らず知らずのうちにスピードが出てしまい、パトカーに検挙されてしまうことですね。なので、アクセルを踏む量を抑制しながら、車を走らせていきました。
それにしても石狩市はむちゃくちゃ広いというか長いですね。1時間以上も走っているのに、石狩市から抜け出すことができません。
※参考 基礎自治体位置図__01235.svgの赤い部分
石狩市浜益区毘砂別(びしゃべつと読みます)にまで差しかかったところ、なにやら「千本ナラ」という看板が見えてきました。時間的には余裕がありますので、ちょっと寄り道をしてみました。
新日本名木100選とあります。一体誰が選んだのでしょうね。また、浜益村とありますが、今は広域合併により石狩市になっています。
こちらには「森の巨人たち100選」と書いてあります。新日本名木100選とは異なるようです。
階段の先に見えるのが「千本ナラ」の木です。全部で3本あるようです。全部を1枚の写真に収めるには超広角レンズ付きのカメラが必要でしょう。
樹齢はなんと820年!枝が折れないように補強されています。枝が1000本位ありそうだからということから千本ナラと名付けられたようです。
左側に見えるのが2本目の千本ナラです。いずれの木にもしめ縄が巻かれています。
しめ縄には何故だかしゃもじが沢山挟めてあります。理由を調べてみますと、しゃもじはご飯をすくう物。「掬う」を「救う」に掛けているようです。たくさんの方が願掛けを行っているようでした。
森の隙間から見える日本海をパチリ。
わずか5分ほどの滞在でしたが、またこちらを走る機会があれば家族で立ち寄りたいスポットです。ただし、夜に来るのはかなり怖いかも(笑)
ujimaxさん達と別れてから取引先を2社ほど挨拶で顔を出したが、いずれも10分程度で終わり、あとは会社に戻るだけとなった。天気が素晴らしく良いので、美瑛、富良野方面へ寄り道をしてから帰ることを決意。
今は携帯電話があればまさに移動オフィスなわけでどこでも営業は出来る。90分程度多めに時間を見れば良いだけなので、仕事にもそれほど影響は無いだろうし、美しい風景を眺めることで心の健康を保つのも大事な仕事の一つだと勝手に解釈をする。
また、これだけ緑が多いと車の窓を開けているだけでマイナスイオンを浴びることもできるだろうとまあ、我ながら実に都合の良い考えだと思うのだが・・。
JR富良野線を単機で走る気動車(キハ150)
ラベンダー色のドアとストライプがおしゃれ
昨日ほどデジカメにパノラマ機能が欲しいと思った日は無かった。
自然が一杯に見えるがこれは本来の自然ではない。自然と人工がミックスされた景色である。
有名なマイルドセブンの丘
ということで、今日もまた仕事をがんばるのである。
なお、美瑛のあとはどこにもよらずに三笠経由で帰社。会社を休む覚悟があればそのまま富良野でラベンダーの花を楽しむことができたのだが、それはまた次回に。
明日は朝から美幌でとあるシステムの設定作業。その後はまっすぐ千歳空港へ移動して東京行きという超ハードスケジュールなのだ。業績アップのためには多少の息抜きは許されるはず。いや、許してください(笑)
酷い景色ですね。
自宅の庭ならこのように捨てることはできますか?
これは雪解けが進むとともに露出してきた空き缶ゴミの姿です。
ごく少数の人だと思います。ゴミはきちんと持ち帰りましょう。ポイ捨ては厳禁ですよ。
夕張市のお客様を訪問する際にちょっと廻り道をしてみました。
ここにB20型蒸気機関車がひっそりと展示されているのを思い出したからです。
SLカテゴリを作ろうかな、と思う今日この頃です(笑)
7/13 誤字修正しました。万時× 万字○ 失礼しました。
お客様を訪問した帰り道、高速美唄インターのそばに、2号機関車が置かれているのを思い出して写真を撮ってきました。すでに廃線となった三菱鉱業美唄鉄道線の旧東明駅にそのまま残され展示されているSLです。
この機関車は、ドイツから輸入された国鉄4100型をベースに改良、国産化された国鉄4110形蒸気機関車と同型だそうで、1919年(大正8年)に三菱造船所が製造したものなんだそうです。なんとまあ、造られてからすでに90年も経ったのですね・・・。
ちなみに、撮影前にはくもの巣だらけでしたので、落ちていた棒できれいにくもの巣を払ってから撮影しました。
折角の機会なので少しでも綺麗な状態で撮影したかったからです。
やっぱりSLっていいですね。しばしノスタルジーに浸りながらこの地を後にしました。
北海道のCALS人さんが書いていた越川橋梁は、私も通りすがりに撮影しておりましたので、ここで発表させていただきます。アングルなどは北海道のCALS人さんのほうが流石にすばらしいですね。
ということで越川橋梁についての詳しい解説は北海道のCALS人さんの記事をご参照ください(^^;)
それにしても、こういう廃線の後って何とも言えない物悲しさがありますね。
貧しかった明治、大正、昭和の戦前から戦後にかけて、日本中にこれだけの鉄路を引くことが出来たということはとても凄いことだったと思います。
ここは東京の港区。身長170cmの私でも屈みながらでなければ通行が出来ないJRの線路の下を交差する道路がありました。
車の頭上には余裕がありません。自分も頭をぶつけてしまいそうです。
このような道でも、JRの線路を挟んで行き来するためには大変重要な道路なのですね。沢山の人や車が通行していました。
ちなみに自分はお世話になっている取引先様から泉岳寺駅に移動するために通行しただけで、わざわざこれを見に行ったわけではありませんので悪しからず(笑)
場所は、 (株)関電工本社ビル横の道から、泉岳寺駅にぬけるJRの線路下です。
判りにくいとは思いますが、とりあえずGoogleMapで示しておきましょう。
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