一体何のために官僚になるのだろうか。一体何のために政治家になるのだろうか。

恐らくみな崇高な志が有って、官僚の道、政治家の道を志したのだと思う。

その崇高な志を実現するために政治家達は良い法律を立案し国会で決めていく。官僚達は国会で決まった法案をしっかりと実行していくために頭を使う。

官僚達には国を動かすために必要な巨大な権限が与えられている。1億人以上の国民の生活や安全を守るためにはそれなりの権限が必要だからだ。

さて、ここでいう権限というのが実はくせ者である。権限とは、つまるところは使える金があるかどうかである。

巨大な権限を持つ者はそれだけ巨額の金を扱うことが出来る。

もともとこの金は人々が支払い納めた税金である。崇高な目的で使われる金であれば何も卑屈になってペコペコする必要は無いのだが、市場経済の原則から受注競争に発展すると、なぜだかとたんに金を持っている方が偉くなってしまう。

なので、人々はそんな権限を持った官僚に金の無心をすることになるのだ。

そうして官僚達が金の分配を行っているうちに、あたかも人々を自分自身が自由にコントロールしているかのような錯覚を覚えてしまうに違いない。

人間は誰だって弱い。その権限を、自らの心地良さに対して力の配分を行った瞬間に実は癒着と利権が発生する。

人々の暮らしを支える投資にはそんな利権なんかはまるで要らないのである。

必要なのは国、地方をもっと良くしようという熱い思いだけだ。