「船頭多くして船山を登る」

このことわざの意味は、誰もが良く判っているようで、意外に間違って覚えている人が多いのだとか。

× 船長が沢山集まれば、船でも山を登ることが出来る

○ 指図する人が多過ぎるとかえって統率がとれず意に反した方向に物事が進んで行くことの意

ここでいう指図する人というのは一般社会に置き換えてみると管理職のことだろう。船の漕ぎ手=社員が混乱してしまいあらぬ方向に走ってしまうケースは確かにありそうだ。

また、これの反意句とされるものに、

「三人寄れば文殊の知恵」

がある。

こちらは、特別に頭の良い者でなくても三人集まって相談すれば何か良い知恵が浮かぶものだ、という意味

ところが冷静に考えてみると、必ずしも反意句とは言えないように思うのだ。

まず、一体どのような3人なのかが不明だ。船頭が3人なのか、それとも漕ぎ手が3人なのか。

この場合、船頭(管理職)が3人であれば、それなりに良い知恵を出すかもしれないが、漕ぎ手(社員)が3人では、より良い漕ぎ方の知恵は出るかもしれないが、進むべき方向までは知恵が出ないかもしれない。

反意句というのであれば、指図する人が多くても良い知恵が出て物事が上手く進んでいくこと、という意味でなくてはならないはずだが、上記のように必ずしもそうはならないのである。

ということで、3人寄れば~は、単純に一人だけでは出ないはずの知恵が出た時の嬉しさを表わしただけであって、その知恵を使った後の結果を伴わない諺であると言えるだろう。

また、「特別に頭が良い者でなくとも」が付いているので、普通に使うと実は相手に対して失礼になるかも・・・

ということで、何故か変な事にこだわってしまった。さてと、仕事に戻らなきゃ。(笑)